高野 優花
部活、勉強、委員会と
たくさんの打ち込めることに
出会えたかけがいのない六年間
高野 優花
2023年度6年生

絶対にあきらめずにつかんだ合格
「この学校に入りたい!」
小学4年生の時、中学受験の志望校探しのためにいろいろな学校の文化祭を見て回っていた私は、湘南藤沢中高の文化祭で強く思いました。
どの学校の文化祭も良かったけれど、これほど広大で自然豊かなキャンパスの中で、明るく活発な在校生が文化祭を楽しんでいるところは、他にはありませんでした。さらに帰国子女など多様なバックグラウンドの生徒たちが集まることを知り、レベルの高い英語学習もできそうだと思ってますます惹かれました。
ところが当時の私には、湘南藤沢中学に合格できるような実力がなく、最後の最後までチャレンジ校のまま。でも、どうしても入学したいという熱意で絶対にあきらめなかったおかげか、入試本番をうまく乗り切ることができました。合格できて、本当に嬉しかったです。
入学してみると、クラスには英語で会話している子がいたり、ネイティブの先生がいたり、グローバルな環境が新鮮でした。どの授業も先生方独自の方法で、グループワークの多い活発な学習ができ、新しい視点を身に着けられたような気がします。

バスケットボール部での大切な絆

部活は、未経験ながらバスケットボール部に入りました。それまでテニスや水泳、ダンスなどスポーツの習い事をいろいろとやってきたのですが、新しいことに挑戦したかったからです。仮入部をしてみた時に雰囲気が楽しそうで、常に声出しをして全員で気持ちを高め合っている環境がいいと思いました。
でも部活動ですから、大会を目指してみんなできつい練習を乗り越えなくてはなりません。それは、習い事としてやってきたスポーツにはなかったことで、個人的にも私自身バスケが未経験だったこともあって大変でした。ただ、そんな苦労があったからこそ、チームが一つになって絆が生まれたとも思います。
高校生になると、私はプレーヤーよりも支える立場としてバスケ部に貢献したいと考えて、マネージャーに転身しました。みんなのケガや体調の異変に気を配るのはもちろん、たくさん動画を撮って分析したり、シュート率を計算したり、裏方として奮闘したつもりです。湘南地区大会とインターハイ県支部予選でともにブロック2位という好成績を初めて修めることができた時には、自分が貢献できた実感があって嬉しかったです。
もちろん、みんなも私を支えてくれました。私も含めて7人の同期部員は特に、一緒に話したり笑ったりするだけでなく、悩み事も相談できるかけがえのない仲間です。
オンライン学習の課題が勉強する癖をつけてくれた
湘南藤沢の工夫された授業は、楽しく興味深かったです。でも私は、自宅学習に熱心ではなかったので、決して成績がいい方ではありませんでした。
そんな自分が変わるきっかけになったのは、実は3年生の時のコロナ禍。学校に行けない日々が続き、オンラインで送られてくる課題を自宅でこなさなくてはならなくなりました。自宅学習がいつまで続くかわからないので、きちんとやらないとどんどん溜まってしまいます。溜め込むのが怖くて、出された課題は必ずすぐにやるようにしていたら、毎日勉強する癖がついたのです。
秋に学校が再開した時に、オンラインでの学習を範囲とした大きな試験が行われたのですが、毎日のようにしっかり勉強していた成果が出て、自分でも驚くような成績を上げることができました。
それまでは、楽な方に逃げてしまうことが多かった私ですが、継続すれば結果が出ることがわかって自信がつきました。そして、しっかり勉強しておけば将来の選択肢も広がるので、それからも頑張り続けようと思えたことも良かったです。
実際、私は6年の秋まで進路をはっきり決められずにいて、まわりの友だちが目標を定めていく姿を見ながら焦りも感じていましたが、進路選択の可能性を広げておこうと、理系学部にも進学可能なⅡ類を選択して成績も維持するようにしました。興味があることが多くていろいろ迷ったのですが、結果的に大学は医学部に進学できることになったのも、逃げなかったからだと思います。もともと成績が良かったわけでもない私ですが、今は医師になるという目標に向けて進んでいます。
実行委員長としてやり遂げた文化祭
湘南藤沢の文化祭に感動して入学してきたので、コロナ禍で中学生の文化祭実行委員が選出されなかった3年生の時以外は、1年の時からずっと実行委員を務めてきました。そして、いよいよ6年生になって文化祭実行委員長に立候補したのです。
コロナの影響で始まったオンライン開催が、以前のように学校でのリアルな開催に戻って、さまざまな制約がほぼなくなるタイミング。文化祭を見学した時に自分の目で生徒たちの仲の良さや活気を見て、この学校のすばらしさを感じた私は、オンラインではそれを直接感じてもらえないことを、実は少し残念に思っていました。
また以前のように、湘南藤沢の明るさや活気や自由な雰囲気をリアルに伝えられる! そんなワクワクした気持ちの一方で、委員長の役割をしっかり果たせるのか不安だったことも事実です。不安を乗り越えるためには、とにかく頑張るしかないと思い、過去の資料を読み漁ったりクラスの企画すべてに目を通したり、全体の流れをつかむ努力をしました。
頑張ったおかげか、文化祭当日に偶然私の耳に入ってきたのは、「この学校に入りたい!」という小学生だった頃の私とまったく同じ言葉。とても嬉しかったです。毎日最終下校時刻まで学校に残り、帰ってからも文化祭のことに時間を使い、それが終わってからやっと勉強。そんな日々を送っていたので、実行委員長と勉強との両立に悩むこともありましたが、バスケ部やクラスのみんなが支えてくれたおかげで乗り切れたのだと思います。
中高の6年間はずっと楽しく、部活、勉強、文化祭と、いろいろなことに打ち込んで充実した日々を送ることができました。高め合える友だちがいてくれたからこそ、自分も頑張れました。かけがえのない湘南藤沢中高での思い出は、これからも私の宝物です。
私の思い出

文化祭の成功のために奮闘した記録
文化祭の9カ月前から実行委員は活動を始めます。次の世代に引き継いでいくためにも、ミーティングの内容はきちんとノートに記録していました。資料もたくさんありますが、特に私がこだわったのは、全体のスケジュール表。各セクションが何をしているのかひと目でわかるようなスケジュール表を作ったら、委員のみんなが、それを見て能動的に行動してくれるようになりました。仕事は大変でしたが、そんな時にやり甲斐を感じて嬉しかったです。